保険の歴史

保険の歴史は古代オリエント時代に起源があると言われています。
古代オリエントでは地域間で交易が盛んに行われていました。しかし、その交易には自然の猛威や盗賊・海賊などによって大きな危険(リスク)を伴っていました。
これらのリスクに備えて損失補填のため資金借入が行われていました。このことが保険の起源だと言われています。
ただ、金利が10%、担保が人質だったためバビロニアの通商自体が衰退していったということです。
また、商人達は隊商やダウ船を分散させることでリスクの分散を図ったりもしていました。
紀元前1800年頃のハムラビ法典では「冒険貸借」の原型や、災害時の相互扶助としての社会保険的な制度が見られます。
この「冒険貸借」というのは、紀元前300年頃に地中海商人によって始められた制度で、これは船主・荷主は船や積み荷を担保に金融業者から借金し、無事に帰港できれば利息を付けて返済し、事故で船や積み荷が失われれば返済しないというものです。これが「海上保険」の原型になりました。この頃には荷物を失ったら荷主・船主全員で負担する「共同海損」という制度ができ、「コレーギア」という貴族院の互助会的な制度も現れました。
このように保険制度は発展していきますが、ローマ帝国の滅亡と地中海貿易の衰退が保険制度も衰退させていきます。さらに1230年、教皇グレゴリー9世が利息を取って儲けることはキリスト教の教えに反するとして「利息禁止令」を出しました。これによって「冒険貸借」の制度は終わります。

中世になると、地中海では十字軍遠征に伴い、イタリア商人の交易活動が活発化しました。これまでの「冒険貸借」は「仮装売買契約」という形に発展しました。また、1347年にジェノヴァでは「海上保険証券」も出されています。一方北海ではハンザ同盟による商業活動が盛んで都市がおおいに発展しました。都市の同職組合(ギルド)では災害共済の制度がつくられています。また、フランドル地方の中心地ブリュージュでは1310年頃「海上保険取引所」も登場しました。

16世紀には無敵艦隊を擁するスペインが、世界の海を支配していました。これに対抗したイギリスのエリザベス女王は強敵スペイン艦隊に打撃を与えるため、敵船捕獲の特許を与え、盗賊行為を奨励しました(これを「私掠船」といいます)。しかし、海賊行為には危険はつきもののため、その見返りにケガをしたら保険金を出すようにしました。こうして増えた「私掠船」の活躍でイギリスはスペインを破り、世界の海を制し、大英帝国に発展していきました。

17世紀末、ロンドンの港近く、ロンバード街にあるエドワード・ロイドが経営するコーヒーハウスには船主など海上輸送の関係者が立ち寄って情報交換をしていました。そこでロイドは1696年海運貿易情報の新聞を発行しました。そこへ保険引受業者が多くやってきて保険引受が行われるようになりました。
ここで形成されたのが国際的な保険組織「ロイズ」です。この「ロイズ」はシンジケートの集合体で、現在、主要な保険となっている火災保険は1666年のロンドン大火の後、ニコラス・バーボンが始めました。
また、自動車保険はベンツが自動車を発明した翌1896年には、早くもロンドンで登場しました。
近代になり、このように保険が発達した背景には、近代における確率・統計など数学の発達がありました。この数学の発達が詳細な保険料率の整備につながりました。

日本においては、1859年に横浜で損害保険業が外国保険会社により始まり、1867年に福沢諭吉が「西洋旅案内」で「災難請合の事(イ[ ン ]シュアランス)」と題して「火災請合」、「海上請合」を紹介されました。
1879年には日本最初の海上保険会社営業を開始。1888年には最初の火災保険会社が営業を開始しました。